母方の祖母にも〝あちらの人〟が視えていた。
ばば様は墓守をしていた。
家は数百年前のもので、墓場の中の一軒家。
勿論、そんな古い家だから家の中にトイレは無い。
トイレへ行くには、井戸と墓場の前を通って行かねばならなかった。
天井部分には、明かりを取り入れる為の天窓が付いていた。
ばば様は〝あちらの人〟の事を〝仏さん〟と言い、
〝仏さん〟は当たり前の自然な存在だった。 私にしても子供の頃はそうだった。
夕方になると 軒ぃ、仏さんが座りに来はるから戸ぉ閉めときよし。 と よく言われた。
時々、天窓から顔を半分だけ出して覗いてくる〝仏さん〟がいたのだが 私はその人が怖かった。
正確には〝その人〟ではなく、その〝覗き方〟が怖かった。
ボサボサの長い髪がまとわりつくように天窓に広がって、半分飛び出た片目だけで
ただただ、ひたすらジーッと見つめるだけのその姿が怖かった。
家の外にあるトイレへ行く時、〝その人〟が来そうな気がして怖かった。
それをばば様に言うと、いらんもんは視んときぇ! と 怒られていた。
ばば様の言う 『いらんもん』 とは、視る事でこちらへ寄って来る仏さんの事だ。
でも私には、どの仏さんが 『いらんもん』 なのかが解からなかった。
『いらんもん』 どころか、生者と死者の区別さえ あまりつかないぐらいだった。
周りの反応を見て、やっと仏さんだという事が解かる程度。
他の人達も自分と同じモノを視ていると思っていたが
幼稚園に入る頃には、他の人には視えていない・・・という事が ある程度解かるようになっていた。
ばば様にキツく注意をされる度に 視えるもんはしゃーないやんけ! と腹を立てていたが
今にして思えば、私にとって良くない仏さんの見分け方を教えてくれていたのだと思う。
軒のすりガラスに映るユラユラと動く人影が気になって、見ようとしては
戸ぉ開けたらアカン! こっちぃ入って来れんでも仏さんが覗かはるやろ! と怒られ
怒られては、見るぐらいえぇやんか! と むくれていた。
子供だった私にしては、その人影がどうしても生きている人に思え
それを確かめたくてしょうがなかったからだ。
他にも そっちぃおる人は 視たらアカン! と怒られては 何でやねん! と ばば様に対し腹を立てていた。
視えない姉は怒られる事が無かったので
自分ばかり怒られる事にも腹を立てていた。
その頃の私は、姉が視えていないとは知らなかったのである。
「視たもん いちいち口にしたらアカンぇ。」
この言葉はある程度大きくなってから意味が解かった。
視える事を言ってしまうと変人扱いされるか、気味悪がられちゃうもんね~(笑
だから視えないフリして過ごして来た。
時には、視えないフリをするには勇気がいる事もあった。
修学旅行等、集団で移動している時 通り道に仏さんがいる事がある。
皆は知らずに その仏さんをすり抜けて行く。
うへぇー!このまま歩くと あの仏さんと重なっちまうよぅ・・・(´Д`)
目をつむってエイ!・・・てな気持ちですり抜けるあの瞬間・・・勇気がいるぅぅぅ。
時には重なった瞬間、その仏さんの感情意識が流れ込んでくる(泣
ばば様が言っていた 「視る事で寄って来る仏さん」 を実感した事もあった。
堤防沿いの道をチャリで走っている時、こちらに背を向けてしゃがみ込んでいる作業服姿の人がいた。
具合でも悪いのかな?・・・と チャリの速度を落として見ていると
その人も私に気付いたらしく振り向いた。
その人と目が合った瞬間、背中にゾクッと走るモノがあり〝あちらの人〟だと気付いた時には遅かった。
生者だと あり得ん動きでザザーッと寄って来た。
体温(?)すら感じたその密着度・・・ や゛め゛でぐれ゛ぇぇぇ! /( ̄皿 ̄;)\
幸いにも〝その人〟は、場所に縛られているタイプだったので
その場から逃げる事でテイクアウトは免れた。
ただし瘴気当たりとでもいうのでしょうか・・・ 鼻血がタララ~ (  ̄ii ̄ )
(テッシュが無かったので そのまま鼻血を流しながら 家まで猛ダッシュ(笑 )
ばば様は、どういう風にして 『いらんもん』 を見分けていたのだろうか?
私が中学生の時に ばば様は他界している。
腹を立てて反発せず、ちゃんと注意を聞いていれば良かった。
いくら私が腹を立てても、色々言っては私を 『いらんもん』 から守っていてくれていた。
視えなくなった今では もう 気にする事も無いけれど
『後悔先にたたず』 だよな。