他界

 
親類の葬儀後、色々と思い出していた。
 
一昨年、家族が2人他界したのだが
 
1人は週 3回の透析を受けていたうえ、毎年手術が必要な者だった。
 
 
心臓の太い 3本の血管のいずれかが 毎年詰まっての手術。
 
そう。 俗にいう心筋梗塞。
 
短い期間だと、半年ほどで手術をしなければならなかった。
 
 
毎年手術をしているもんだから、バルーン、ステント、ロータブレーターの 3種類共を経験済みの者だった。
 
(CCU(冠疾患集中治療室)のお得意さんw )
 
時には(手術)予定日まで血管が持たず、救急車を呼ぶ事もあった。
 
そんな時は 100%緊急手術になっていた。 それが 12年間続いての他界だった。
 
これが先日の『延命』での者だ。
 
 
 
 
もう 1人はお婆ちゃん。
 
ストーマ(人工肛門)の術後、意識の混濁が続いたうえに感染症にかかってしまい
 
隔離病棟での数ヶ月の間に、足がダメになってしまった。
 
 
それまで(婆ちゃんと)暮らしていた者達は、婆ちゃんを看る気は全く無し。
 
それどころか、入院中の着替えすら持って行こうともせず
 
挙句の果てには 病院からの連絡に、
 
「うちに電話して来ても困るわ!うちは関係無いから!」とまで ほざいたらしい。
 
(看護士さんから私が聞かされた。)
 
 
 
それを聞いた私はブチ切れ、奴等の所へ殴りに行こうとしたのを
 
うちのもんに止められた。(クソッたれがーっ!一発ぐらい殴らせ!ボケがあぁぁぁっ!!! )
 
 
 
 
・・・てか元々は、腹痛を訴えていた婆ちゃんを( 奴等が)5日間も放置していた事で腸に穴が開き
 
ストーマになっちゃったんだけどね。
 

 
そんな奴等が、寝たきりになった婆ちゃんの面倒を看る訳も無く
 
私自身、そんな奴等に婆ちゃんを渡す気などさらさら無かった。
 
 
 
 
 
でも・・・退院後、婆ちゃんは〝自分の家〟に帰りたがっていた。
 
毎日毎日、窓から外を眺めては家のある方向をズッと見ていた。
 
 
時には 「○○の車があるかどうか、見て来て欲しい」 と
 
〝家族〟が元気にしているかを気遣っていた。
 
 
 
放置した奴等でも・・・面倒を看るのを拒んだ奴等でも・・・婆ちゃんにとっては〝家族〟だった。
 
そう・・・私達にしても、奴らが拒んだ事を婆ちゃんには話してはいない。
 
ただ、「ウチの方が人手があるから。」 と 言っただけだった。
 
 
 
時には 「家に帰られへんねんやったら、何であの時助けたんや。」
 
「こんな身体になってしもうて・・・何であの時、あのまま死なしてくれへんかったんや。」 
 
悲しみを私達にぶつけて来る事もあった。
 
 
 
そうだよな・・・それまでは元気に歩いていたもんな・・・
 
出来る事は、何でも自分でする婆ちゃんだったもんな・・・
 
いらん事して ごめん。
 
助けてしまって ごめん。
 
でもね・・・死ぬのが解かってて
 
黙って見ている事が出来なかったんだ・・・ごめんね。
 
 
 
婆ちゃんが悲しむ顔を見たくなかったから、〝家族〟が拒否した事を黙っていた。
 
そのかわり、「帰りたい」 という悲しみを与えてしまった。
 
何度、本当の事を話そうか・・・と思った事か・・・。
 
でも結局、最後まで言えなかった。
 
 
そんな日々が10年ほど続いての他界だった。
 
 
 
 
婆ちゃんが他界した数日後、「家に婆ちゃんが〝出る〟」と 奴等が言って来た。
 
ある時は部屋に立っていたり。 ある時はトイレのドアを開けるとそこに座っていたりするそうだ。
 
それを見て〝家族〟が怖がっているらしい。
 
 
んなもん知るかっっ!
 
婆ちゃんが我がの家に帰っただけやろがっ!
 
死んでやっと帰る事が出来たんやから、喜ばしい事やんけ!
 
それをウダウダぬかすとは・・・ドタマかち割んぞ!ごらぁ!(▼皿▼#)
 
 
 
 
 
 
ある日、夕食を作っていると背後に人の気配がしたので振り向くと
 
そこには死んだ婆ちゃんが、ひょこっと覗くような姿で立っていた。
 
今にも泣き出しそうな悲しい顔して立っていた。
 
 
 
〝家〟へ帰る事が出来て安心していたのに・・・
 
死んでまでも そんな悲しい顔をしているなんて・・・と思うと
 
哀しくて哀しくて、その場に泣き崩れてしまった。
 
 
 
死んでまでも、何がそんなに悲しいのだろう?
 
何故、そんな顔して私のところへ来たのだろう?
 
婆ちゃんの〝意識〟は私の中に入って来なかったので 何も読み取る事は出来なかった。
 
ただ、悲しい顔してふっと消えた。
 
婆ちゃんを視たのは この1回きり。
 
 
 
ショックだった。
 
あんな顔をも視てしまう この目がすごく嫌になった。
 
〝視える〟目なんて私はいらない。
 
〝見える〟だけの目でありたかった。
 
 
 
今考えると、この頃から〝視える〟回数がグッと減ってきたように思う。
 
子供の頃は、生者と死者の区別がつかぬほど
 
毎日ウジャウジャ視えていたけど、年齢と共に減っていたので
 
「歳のせいか?」とも思っていたけど (笑
 
 
 
今では全く視えなくなっている。 私にとっては喜ばしい事だ。
 
でも・・・どうせなら婆ちゃんの笑顔が視たかったなぁ・・・。
 
 
 
 
 
 
今でも奴等の家では、婆ちゃんが〝出ている〟らしいけどね(笑

 

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イソラ
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他界 への2件のフィードバック

  1. 空×ジ・O より:

    先日の記事、また削除してるし・・・。

  2. イソラ より:

    バレたか・・・(テヘヘ

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