納得の違い

 
TVで、桜○やっくんを見るといつも思う。
 
化粧の威力(?)ってスゴイよな・・・と。
 
それとも、化粧映えする顔とそうでない顔があるのかなぁ・・・う~ん (ーヘー;)
 
 

 
 
認知症の人は普段、会話をしていると認知症では無いように思ってしまうぐらい受け答えがシッカリしている人が沢山いる。
 
そんなだから〝その人個人〟をちゃんと見ていない人は、
 
認知症の人の言う事を鵜呑みにしてしまうんですよね。
 
「私はご飯を食べさしてもらってない。」
 
「私はお風呂へ入れてもらってない。」等々。
 
特に食べ物に関しては、食べた事を忘れてしまう人が結構多い。
 
 
 
今日の夕食はまだですか?
 
もう終りましたけど、○○さんもちゃんと食べられましたよ~。
 
あぁ、そうやったかぃな~。 忘れてしもたわ。
 
と、その場は納得して自室へ戻られる。
 
 
 
・・・が、〝その場〟と言うのがミソでして。 後日、御家族さんが会いに来られた際には
 
私は時々、夕食を食べさしてもらってない。 
 
と、御家族さんに怒りを露わに訴えられる。
 
すると〝その人個人〟を見てないご家族さんの場合
 
「ここはいったいどうなってるんですか!? ご飯を食べさしてもらえない時があるって言ってるんですけど!」
 
と、すごい剣幕で怒って来られる。
 
 
 
認知症にて忘れてしまう旨をお話するのですが、「そんなハズは無い。」と信用しない。
 
そして私達に対し、ご家族さんが不信感を持たれる。
 
私達がする事に対し、不信感を持っているものだから ことごとく禁止したりして
 

〝此処〟に居る人自身が、可哀相な事になってしまう時もある。
 
 
 
 
ある人は食事の時、自分の嫌いなメニューの日には大好きな竹の子の煮物でご飯を食べられる。
 
この竹の子は「欲しい。」と言われるので、私達がその方のおこずかいから購入している。
 
密封パックの物なので日持ちするから、2~3個買っておくのですが
 
毎回キレイに完食される。
 
それなのに、たまに来る御家族さんは冷蔵庫に入っているパックを見て。
 
「こんなに勝手に買って! もうあなた達は買い物はしないで下さい! 私が買って来ますから!」
 
と、禁止しておきながら 会いに来るのは月1回あれば良い方だ。
 
竹の子だけに、あるメーカーの物以外は硬くて食べられない。
 
その事を説明して、買って来られる時には「このメーカーにして下さいね。」とお願いしたにも関わらず違うメーカー。
 
 
 
毎日のように 竹の子が食べたい。竹の子が食べたい。と言われても
 
御家族さんからは禁止され、その人のおこずかいも持って来られないので買いには行けない私達。
 
御家族さんがたまに来た時でも、(違うメーカーなので)竹の子を前にして(硬くて)食べられない。
 
それが半年近く続いてやっと、買い物禁止を解かれた。
 
 
 
久しぶりに食べれた竹の子に あぁ~やっぱりこれが美味しいですわ。 と言われた時の笑顔。
 
見ているこっちも顔がほころんだ。
 
 
 
 
 
それとは対照的に、〝その場〟限りで食べた事を納得されない人は
 
いや!そんなハズは無い! 私は食べてない! と引き下がらない。
 
そういう場合、その人の空の器を見せながら 
 
ここに南瓜が乗っていたでしょ? 食べた記憶はありませんか?
 
「甘くて美味しい。」と言って全部食べられましたよ?
 
ここには魚が乗っていて、「この魚は不味い」と言って残されたでしょ?
 
と、メニューを言ってその時の相手の反応を言いながら聞いてみると
 
どれか一つは覚えている。
 
そこで初めて あぁホンマや。食べとったわ。 と納得される訳でして。
 
そういう人は御家族さんが来ても 「食べさしてもらってない。」とは言わないんですよね。
 
 
 
 
〝その場〟限りの納得と、ホントの意味での納得の違い。
 
 
 
 
不思議な事に、結構行動にも表れる気がする。
 
ホントの意味で納得される人は、深夜0時に ご飯を食べる と徘徊される。
 
今は昼ではなく夜ですよ~。 ほら、外も真っ暗でしょ? これでOK 一回だけ♪
 
〝その場〟限りの人は、何度もこれが繰り返される。
 
人の中での納得の違いは、ハタから見ても解からない~。
 
・・・てか○○さん・・・夜中の徘徊 バッチリ化粧もしてるし・・・。
 
 

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