10代後半に〝体験〟した事。
その時、私は20代後半ぐらいの女性だった。
そう。 その人の逝く時を〝体験〟させられる瞬間だ。
〝私〟は、横たわっていた。
〝私〟は、苦しさよりも悲しい気持ちで一杯だった。
3人の顔が、〝私〟を覗き込む様にして上から見ていた。
1人は〝私〟と同じぐらいの男性。 後の2人は、まだ子供だった。
2人の子供は泣いていた。
男性は、涙は出ていないが悲痛な顔をしていた。
嗚呼…〝私〟の家族なんだ…と、イソラとしての意識が理解する。
もう口に出す事は出来ないが、〝私〟が「泣かないで。泣かないで。」と
張り裂けんばかりの悲しみで覆われている。
意識が遠のく。 〝その時〟が来た。
悲痛な顔をしていた男性の眼にも涙が溢れんばかり溜まっている。
〝私〟が見た最後の光景は、3人の涙顔だった。
目が霞む時〝私〟は思っていた。
お願い。 泣かないで。 最後に皆の笑顔が見たかった…と…。
それとは別のある日。
〝私〟は、その時のイソラと同じぐらいの年齢の女性だった。
やはり病だ。
中年の男女が泣きながら〝私〟に何かを言っている。
イソラには、その声は聞こえない。
〝私〟は、それを聞き悲しんでいる。
その悲しみは、「ごめんなさい。」でいっぱいだった。
〝私〟の意識がプツリと消えたが、イソラとしての意識がまだ残っていた。
すると、私(イソラ)の耳に泣き叫ぶ女性の声と、嗚咽を漏らす男性の声が聞こえてきた。
そして中年の男性の方が、「親より早く逝くなんて…この親不幸もんが…。」と
振り絞る様な声で呟いた。
中年の女性の方も、「ほんまにアンタは、親不幸もんや!」と泣き叫んでいた。
その時、〝私〟の骸の傍に〝私〟がいた。
〝私〟の骸の中には、まだイソラの意識が残っていて、その傍には本当(?)の〝私〟がいる。
…という、奇妙な光景。
両親らしき中年の男女が言った「親不幸者」と言う言葉を聞いた〝私〟がうな垂れていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。 頑張ったんだけど、ごめんなさい。」
…という〝私〟の意識がイソラに流れ込んで来た。
やがて〝私〟が「ごめんなさい。」という意識(?)でいっぱいになった時に、
人の形をしていた〝私〟が、バレーボール位の大きさに凝縮された様に小さく固まってしまった。
そして、小さく固まってしまった〝私〟は動かなくなった。
その時、イソラとしての意識が思った。
こんなにも頑張っていた〝私〟に対する言葉が『親不幸者』だなんて…と。
〝私〟の頑張りは全て否定? 何て悲しいんだろう…と。
他にも色々あるけれど、これらの体験があってからは
逝く側目線になってしまった。
泣き顔で見送られたくはない…と考える事を思うと、泣き顔は見せられない。
泣く時は出来るだけその場では我慢して、後で傍に(生きている)人がいない時でも
「ごめん。お願いやから今は泣かせて。」と、謝ってから泣いてしまう。
ただ…今でも、たまに耳にする
「親より先に逝くなんて、親不幸者だ。」という言葉には
あの「ごめんなさい。」で凝り固まってしまった女性の悲しみを思い出してしまって
そんな言葉を吐かないで!…と、思ってしまう自分がいる。
見送る側の悲しみから来る 「親不幸者だ。」という気持ちも解るけど
それを〝聞いているあっちの人〟の気持ちにもなって欲しいと思ってしまう。
「親より先にいくなんて、親不幸者だ。」と言う言葉は
まるで『死者に鞭打つ』行為(言葉)だよ…。
こんにちは。ゴメンナサイ。最初の文章だけ読んで、イソラ様は十代にして二十代後半の女性だったのか!すると今は実質何歳くらい!?と、一人で突っ込んでいました。なるほど、人の何倍も生きていそうな経験値の大きさはこういう体験からか。
こんばんは。亀の返信 すみません(汗何でやねーんw <人の何倍も生きていそうな生きてる長さは 空×ジ・Oさんの方が長ーーーいでしょうが(笑