思い出の痕跡

 
 
〝此処〟は、自宅であって自宅では無く施設でも無い口では説明し難い所。
 
病状悪化で病院送りになった時、戻って来られる方は少ない。
 
高齢によって回復が見込めなかったり、助からない病だったり。
 
 
 
施設ならば、身内の者からの 「病院へは送らずに、此処で最期を迎えさせて下さい。」
 
との意向があれば聞いてもらえる。
 
病院にいても帰る家と看る事の出来る家族いれば 「最後は自宅で…。」との意向を聞いてもらえる。
 
 
 
最後は住み慣れた場所で…と思うは誰しもある。
 
病院は看護の場であり介護の場では無い。
 
専門分野が違うからこそ、ケアの質が悪いのは仕方がない事。
 
 
 
〝此処〟では、急性期に亡くなられた場合はファイル項目エンゼルに載っている。
 
でも暫く期間があった場合、籍が病院へ移るのでファイルには載らない。
 
当り前の事なのかもしれないけれど、時々それが悲しく思う時がある。
 
 
 
居室も片付けられ、その方が〝此処〟で暮らした痕跡がいっさい無くなる。
 
まるで初めから〝此処〟にはいなかったかの様に。
 
居た証しは思い出のみ。
 
決して忘れる事はないのだけれど、痕跡が無い事に何故か悲しくなる。
 
 
 
目の前で、看取った訳では無いけれど死を知らされて涙ぐむ。
 
〝此処〟で仕事を続ける限り、ずっとこれが続くのは解っている。
 
解っているけど悲しいよ…。
 
 
 
 
同じ悲しむならば、せめて住み慣れた場所で逝って欲しいと願ってしまう。
 
未だに人の死に慣れないでいる。 どうしても割り切る事が出来ないでいる。
 
それならば、少しでも安らかに行ける場所でと願ってしまう。
 
〝此処〟に帰りたい 帰りたいと言いながら、亡くなった方がいるから…。
 
 
 
 
 
また一人、病院へ送られた。
 
始まるカウントダウン。
 
また一人、思い出だけが残る人。
 
 

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イソラ
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